「史上最年少、26歳の市長が誕生!」
芦屋市に誕生したという政界のニュースター、高島崚輔(たかしま・りょうすけ)さんについての話題が、日本中を駆け巡りました。
しかも聞けば、灘中高⇒東大⇒ハーバードという恐ろしいほどのエリートキャリアとのこと……。
新R25が贈るビジネスドキュメンタリー『キャリ凸 ~キャリアの転機のオモテウラ~』(※YouTubeでは動画を公開中。そちらも合わせてチェックを!)で、なんとか接触に成功した編集部は、高島市長がいったいどんなキャリアを歩んできたのか? そのパーソナルとリアルに迫ってきました。
東京から向かうは兵庫県芦屋市。市役所に居を移す直前、引っ越し作業が行われる選挙事務所にお邪魔しました。
〈聞き手=天野俊吉(新R25副編集長)〉
記事提供:新R25
人生を変えた“先輩の一言”。ハーバードで見た「ある光景」とは?
さっきからいろんな人に手を振られてますね……(事務所の外から、子どもたちやお年寄りにたくさん手を振られていました)
そうなんですよ(笑)、ありがたいです。
26歳で市長になる方は、どんな環境で育ったのかと思いまして。
育ったのは普通のサラリーマンの家庭ですね。
普通……そうなのかな……
ただ、勉強という意味では、「学問だけじゃなくいろんな意味での学びがみっちりできる環境に行きたい」と思ってました。
高校2年の1月に、部活の先輩に「高島、アメリカの大学行ったほうがいいぞ」って言われたんですよ。
ほう〜。
そのときは「はあ」みたいな。
「アメリカの大学なんて日本人が行けるんですか?」「英語話せないんでムリっすよ」
とか言ってたら「とりあえず見にいけ」って言われて。
2月に見にいったんですよ。
そのときに……いる人(学生)たちの目の輝きが全然違ったんです。
自分のやってることに誇りを持っているし、「やっていることがすごく好きで、みんなに知ってほしい」みたいな。
「こういう環境で学んだら楽しいだろうな」って思って、アメリカを目指そうかなと。
まさに人生を変えた一言だったんですね……
先輩はなぜ高島さんに「アメリカに行け」って言ったんですかね?
なんでなんですかね? それ以来会ってないんで、今度聞いてみます(笑)。
自分なりに道を切り拓いていくのが好きだったんで、そういうところを見てくれたのかもしれませんね。
灘高校時代に「生徒会の公約」として掲げた内容がスゴかった
「道を切り拓いていく」……たとえばどんなことですか?
高校2年のときから生徒会長をやってて……
公約に掲げたのが「外に出る」と、「生徒からのアイデアを実現する」だったんです。
「外に出る」というのは?
灘って、すごく地域との断絶がある学校だったんですよ。公立の学校だったら地域の生徒が通うけど、私立だとそうではない。
だから、学校の“中”じゃなくて地域という“外”に出たかった。
芦屋市で夏祭りのボランティアをしたり、小学校で授業したりしました。
進学校だからこその断絶を埋めたかったと……。生徒からのアイデアを実現するというのは?
自分自身、中学生のころから生徒会に入っていて、その枠組みを使ってやりたいことを実現できた経験があって。
それを次の世代にも知ってほしいっていう気持ちがあったんです。
だから、「つなぐ」という言葉をテーマにして、「地域をつなぐ」「歴史をつなぐ」「学校内の生徒をつなぐ」っていう公約を掲げました。
実際、生徒からのアイデアで「地元のFM局とラジオ番組をやる」とか「スポーツの大会をやる」とか、面白いことが実現できたんですよ。
こんなこと言いづらいんですが……
「地域と交流しよう」とか、学生時代の自分が言われたら「え、めんどくさ」って思っちゃうような気も……
そういう感覚はあって当然だと思います。
ただ、「やってみて面白かった」っていう小さな成功体験をつくれるかが大事だなって思ったんですよ。
ゼロイチをやるのは難しいけど、「友だちが何か始めたから乗っかってみる」とか、「乗っかりはしないけど、応援はする」とか。
そんな例がいくつかあれば、みんなが生徒会活動に少しでも関われるんじゃないかなって。
4カ月だけ通った東大で発揮した商才。そしてハーバードへ……
大学は東大とハーバードどちらにも合格したってことですけど……
これはハーバードが9月入学だからっていうことですかね?
そうですそうです。東大入学の手続きをして帰ってきたら、ハーバードからの通知が来てて知った、みたいな。
すごい1日。じゃあ、ハーバードに行くことは決まっていながら、少しの間東大にも通おうっていう。
ですね。全国から集まってきた友だちをつくりたいなと。
あとは、文化祭の実行委員をやりました。
東大って、各クラスで屋台を出すんですよ。そこで、「どうやったら利益率が高いか」をめちゃくちゃ考えて。
そんなことを……
考えた結果、「どら焼き屋」をやったんですよ。競合が少ないし、一度にたくさん買ってもらえる可能性がある。
どら焼きに「東大」っていう焼き印を押して“10個入り”で売ったんです。「受験生のお子さんへのお土産に!」って言ったらかなり売れましたね(笑)。
しかも、その“焼き印”も次の代の後輩に売れるっていう……
(けっこう悪どいな……)
ハーバードでは何を学ぼうとされたんですか?
東大も文Iだったので、政策系を学びたかった。
ただ、たとえばエネルギー政策をやろうとしたときに「発電の仕組みがわかってないのにエネルギー政策なんてできない」っていう壁にぶつかって。
それで“理転”したんです。ハーバードは工学専攻で卒業してるんですよ。
ハーバードに行ってから理転……改めてすごすぎます……
ハーバードを休学し、NPO活動に打ち込む。課題に感じた「可能性の認識差」
結局ハーバードには2015年から2022年までいましたね。あいだの3年間は休学してたんで。
2016年からはNPO法人の理事長を務められたと。どんなことをされてたんですか?
日本の高校から海外の大学へ進学する生徒の支援ですね。
じつは、僕自身がこのNPOにお世話になってた1期生なんです。
あ、ご自身が高校生のときに。
そうです。それで代表を引き継いで。
年表には「地方の公立高校生徒の支援」と書いてありますが、「地方の生徒」を支援したいという意図があったんでしょうか?
はい。海外の大学に行くのって、言ってしまえば東京、関東圏、私立の子がほとんどだったんですよ。
「可能性の認識差」っていう言葉があるんですけど。
可能性の?
「自分の可能性を認識できるかできないか」ということで。
情報が得にくい環境にいると、自らの可能性を狭めてしまう。
その差を埋めるために、地方の公立校に向けて“現役の海外大生が、海外の大学に行きたい高校生のキャリア支援をする”プログラムをつくりました。
政治家への道。「未来を語ることをやりつづけよう」
高島さんはたとえば「外資系とか商社に入ってすごくお金を稼ぐ」みたいなこともできたと思うんですが、そういう道は考えなかった?
なんか……人と違うことしたかったんで。
「自分が本当に納得することをしたい」みたいな気持ちがモチベーションの根幹にあって、それが人と違うことが多いんです。
社会を直接的に良くする仕事をしたいなと思ってたんですよ。自分がしたことによって社会が良くなるって面白いじゃないですか。
「政治家になりたい」みたいな気持ちはいつごろからあったんでしょうか?
別になかったですし、今でも「政治家になりたい」と思ってるわけじゃないんですよ(笑)。
ただ、「芦屋に若い世代が減ってて元気がない」といろんな人に言われまして……
芦屋とずっと縁があって、“こんなにいい街はないな”と思ってたわけで、これはやっぱり自分がやりたいなと。
選挙戦についても聞きたいんですが……「26歳の若者」と取り上げられることも多かったと思うんですが、「26歳」って不利でした?
まあ、どちらでもないかな。有利でもあり不利でもあるんじゃないですか?
ただ、「大丈夫なの?」とか「経験不足だろ」っていう声は当然たくさんいただいてたんで……
そういう意見に対してはどう思ってたんですか?
心配なのもムリもない、ごもっともですと。
ただ、どういうときでも“未来を語るっていうことをやりつづけよう”って思ってたんで。
「芦屋だったらできるんです、だからいっしょにやりませんか」と言いつづけてました。
高島市長の今後は、若者の「意欲」をつくる仕事
市長になって、これからの展望も教えてください。
街づくり、医療など課題が山積していると思っています。
市民の皆さんとの対話を通じて、一つひとつ前向きに変えていきたいと思います。
特にどんなことをやっていきたいですか?
教育ですね。「教育の個別最適化」。
つまり、一人ひとりにあった教育ということですね。
たとえば、算数が得意な子には難しい問題に挑戦してもらう。苦手な子には基本に立ち返ったものを頑張ってもらう。
“ちょっと難しかったけど、でもできたな”っていう達成感が得られると思うんです。
なるほど。
それによって、「学びへの意欲」が増す。
これからはAIの登場で、人間にしかできないことってどんどん少なくなっていきますよね。
「じゃあなぜ学ぶのか?」「じゃあなぜ自分はこれをやるのか?」がすごく大事になってくる。
何かに取り組む“意義付け”を自分でできるようになるっていう。
心から“これ面白いな”って思えるようなものに出会えるかが、「未来をつくる」ためにすごく大事だと思うんです。
それって……まさに高島市長がこれまでの人生を通じて出会ってきたものなんじゃないですか?
そうなんですよ(笑)。
僕は「恩送り」っていう言葉をよく使ってるんですが、本当にいろんなことやらせてもらいましたし、その恩を少しでも次の世代に送れればなと。
高島市長が語ってくれたキャリアは「のちの世代のために、新しい道や可能性を切り拓く」という軸にもとづいたもの。
彼のそんなビジョンは、これからますます、芦屋市から全国へと発信されつづけるでしょう。
多くの人々が“世の中を変えてほしい”と期待を掛ける26歳のリーダー。
取材後も、事務所には引っ切りなしに人が訪れ、市民の方との会話が続いていました。
〈取材・文=天野俊吉(@amanop)〉