【第10回】国産ピアノの生みの親は医療器具の修理職人! 皆が名前を知るあの方です【静岡県】

思わずドヤりたくなる! 歴史の小噺/ 板谷 敏彦

47都道府県、「この県といえばこれ!」というとっておきの歴史の小噺をご紹介する連載です。作者は、証券会社出身の作家・板谷敏彦さん。大の旅行好きで、世界中の主な証券取引所、また日本のほとんどすべての地銀を訪問したこともあるそうです。

第10回は静岡県。昔ピアノは輸入品しかなく、現代の購買力で考えると1台2億円近くしたことをご存じですか? そんな中でピアノの国産化に挑んだのは医療器具の修理職人でした。その方のお名前は必ず皆さん聞いたことがあるはずです……!
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富士山と4つの河川が魅せる風景にはかなわない

東京から東海道新幹線に乗って名古屋、大阪方面に向かうと、静岡県の海岸線を端から端までを走ることになる。乗車駅で言えば熱海からが静岡県で、熱海を過ぎるとすぐに長い新丹那(しんたんな)トンネルに入る。トンネルを抜けると三島駅、新富士駅、この辺りで右手に富士山が綺麗に見える。日本一の高峰・富士山から繋がる駿河湾は実は日本一深い海でもある。

富士川に続くトンネルを抜けると、しばらくして左手に清水次郎長の清水港が見える。以前は清水市だったが合併し、今では静岡市の一部である。

静岡駅を過ぎるとすぐに越えるのが安倍川、冬には上流部に雪をかぶった南アルプスが見える。新幹線の車内販売では伊豆のわさび漬けとここの安倍川もちが名物だ。一山越えると、大井川の扇状地とその平野部が拡がる。この平野には駅は無く、掛川駅を通過すると、天竜川河川域の平野部に入る。ここが浜松である。市内にある浜名湖を過ぎると新幹線は愛知県へと抜ける。

静岡県の新幹線停車駅は熱海、三島、新富士、静岡、掛川、浜松と全部で6駅である。上越、東北新幹線の新潟、岩手両県には7駅あるが、富士山と4つの大きな川で形取られた静岡県の風景の変化にはかなわないだろう。

今回はこの広い静岡県の中でも天竜川の河口域、西の端にある浜松市に注目してみたい。楽器の「 ヤマハ 」や「 河合楽器 」があるところだ。

日本一の富士山から繋がる駿河湾は日本一深い

※この地図はスーパー地形アプリを使用して作成しています。

当時の輸入ピアノは億超え!? とんでもなく高かった!

東京と大阪の真ん中にある浜松には立地的な優位性がある。だが、浜松で楽器が作られるようになった最初のきっかけは偶然である。

明治維新が始まって、日本は様々なモノや制度を西洋化する必要にせまられた。西洋による植民地化を避けるためにも、富国強兵の下、武器を買い、国民を教育し、徴兵制を広め強い軍隊を作らなければならない。軍隊には軍楽隊があって行進曲や国歌も作らなければならないが、日本には西洋のキリスト教国家のように教会で賛美歌を歌う習慣がないから、西洋音楽も基礎から学ばなければならなかった。

明治10(1877)年当時、横浜関内の外国人居留地にあったロビンソン楽器店では、オルガン1台が45円、ピアノが1000円で販売されていた。当時の米相場は1石(144kg)が5円、現在の価格で1kg200円としてオルガンは約26万円、ピアノに至っては約576万円だった。ちなみに、現代の我々から比べると当時はお米だって相当高値なものであった。

これでそれらしい価格だと納得してはいけない。当時の日本の1人当たりGDPは現代の約30分の1しかない。したがって、オルガンは現在の780万円、ピアノは1億7000万円にも相当するのだ。

当時の米相場:1石(144㎏)=5円、現在の米価格:1㎏=200円

オルガン1台45円、ピアノ1台1000円なので
米価格から当時のオルガンの価格を換算すると、45円=9石。
144㎏×9石×200円=約26万円
GDPを勘案し、26万円×30=780万円

同様に、米価格から当時のピアノの価格を換算すると、1000円=200石。
144㎏×200石×200円=約576万円
GDPを勘案し、576万円×30=1億7000万円
※筆者試算

これはあくまで米価を基準とすればの話だが、いずれにせよものすごく高価だったわけだ。今では当たり前のように学校にあるピアノ、オルガンもこれではなかなか全国に普及しない。

明治20年、浜松尋常小学校の校長は先進的で、少し無理をして米国製のオルガンを購入した。1台45円である。高価な楽器だから「校長の許可無く触るべからず」と厳しい管理下にあったわけだが、導入して2ヵ月半ほどで、いくつかの鍵盤の音が出なくなった。

修理するにも未だ東海道線は全通していない。横浜から職人を呼べばとんでもない修理代をとられる。

医療器具修理職人の好奇心と熱意からはじまった国産化

その時ちょうど浜松には医療器具の修理職人、紀州出身ながら住所の定まらぬ流れ職人の山葉寅楠(やまは とらくす)という男が滞在していた。楽器メーカー・ヤマハの創業者である。

山葉は器用かつ好奇心旺盛であった。オルガンを修理すると、今度は夏休みの期間を利用して、学校に頼み込んでオルガンを分解させてもらった。そしてすべてのパーツを採寸して図面をとると、自分でオルガンを製作し始めたのだ。

当時は全国の学校で唱歌教育が始まろうとしていた。多くの学校でオルガンを必要としているが、高価な輸入品でとても買えない。また当時の日本は輸入による外貨不足に悩んでいた。そんな中で楽器のために外貨を使うわけにもいかない。安くて高品質の国産のオルガンを作れば売れるに違いないだろう。山葉はそう信じた。このオルガンの複製から、浜松での楽器作りが始まったのである。

簡単に書いてしまったが、オルガンやピアノの国産化は大変な道のりだった。ピアノは弾くだけでも難しいのに、製作するなんてとんでもない。なにしろ最初はチューニング(調律)さえわからなかったのだから。

ピアノに限らず貧乏な日本には楽器を買う購買力が無かった。そうしたこともあって、ヤマハはオーケストラが使うほとんどすべての楽器を国産化して、安価で学生達に提供することになったのだ。今ではピアノ製造だけでなく、”何でも屋”。しかもすべてが一流の楽器メーカーは、世界にただひとつだけである。

ヤマハから独立した職人が河合楽器を創業し、楽器を製造する技術がやがてオートバイのヤマハ発動機にもなる。ここに示した本も面白いが、ヤマハ発展のストーリーは浜松近辺の施設でも観光しながら勉強することができる。今回はそれらを紹介したい。

前間孝則・岩野裕一著『日本のピアノ100年』(草思社文庫)

浜松のおすすめ観光スポット&グルメ

最初に訪ねたいのはヤマハの本社内にある、「ヤマハ企業ミュージアム イノベーションロード」だ。JR浜松駅から遠州鉄道で3駅「八幡駅」の駅前にある。

ここにはピアノやギター、バイオリンなどヤマハのほとんど全製品が展示されている。現在はコロナ禍で一部制限はあるものの、鍵盤楽器やギターなどの試奏が可能である。特にエレキギターなどには防音室も用意されているので、ヤマハ製品を堪能することができるだろう。

楽器がいかにイノベーションによって進化を遂げてきたのか、そしてここからどこへ向かって行くのか、企業ミュージアムのあり方に対するひとつの提案でもある。事前の予約が必要だ。

ヤマハのほとんど全製品が展示されている(イノベーションロード)

ふたつ目はJR浜松駅近くにある浜松市楽器博物館である。ピアノ、バイオリン、ギターなどの西洋楽器はもちろん、アジアの楽器のコレクションも充実している。

チェンバロからピアノへと進化して、現代のピアノに至る過程が豊富なコレクションにより、高い説明力をもって展示されている。

写真は河合楽器が複製した、モーツァルトやベートーヴェンが使用したワルター・ピアノである。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」の譜面では、ダンパー(弱音器)無しでという指示があるが、当時のピアノと現代のものとでは、音の減衰に差があるので違った響きになることがダンパーとともに説明されている。

モーツァルトやベートーヴェンが使用したワルター・ピアノの複製(浜松市楽器博物館)

最後は、浜松から在来線で25分ほどの掛川にあるヤマハ掛川工場のハーモニープラザにて、ピアノ製作の見学を。ここでは1日30台のグランドピアノを製造している。

ピアノ製作の見学ができるヤマハ掛川工場

工場へは掛川駅から天竜浜名湖鉄道で3駅目の桜木駅下車。この天竜浜名湖鉄道は旧国鉄二俣線で、この駅は有形文化財登録の日本の名駅のひとつ。路線も快適で鉄ちゃんの興味も満たしてくれるだろう。

こうして3つの施設を見学すれば、楽器に対する興味も敬意も大きく変わること間違いなし。家に帰って古いピアノのホコリを払うのもよし、押し入れのギターの弦を張り替えるのもよし。

天竜浜名湖鉄道「掛川駅」

浜松といえば鰻である。しかし鰻は良い店であればあるほど、客が来てから捌く傾向にあるのでどうしても時間がかかる。

東京や大阪からであれば、この3ヵ所を日帰りでまわることも可能だ。しかしそうすると時間がない。そこでもう一つの名物、浜松餃子をおすすめしたい。

実は、浜松は毎年「餃子日本一」を宇都宮と争っている。写真は浜松駅の石松餃子。石松餃子は元祖浜松餃子といわれていて、カリカリとした焼き目がうまい。

宇都宮と日本一を争う「浜松餃子」