いまやスーパーやコンビニで日常的に目にするチルドカップコーヒー。市場を一から築いたのが森永乳業の『マウントレーニア』であることはご存じだろうか。カフェブームの何年も前にカフェラテを日本へ持ち込み、チルドカップコーヒーという市場を開拓した『マウントレーニア』。93年の発売以来、首位を走り続けるブランドについて、マーケティング開発部の田中さんに伺った。
カフェラテがなかった時代に新市場を開拓
はじまりはシアトルを訪れた社員が、現地のコーヒー文化に衝撃を受けたことでした。
街中でカップ入りのカフェラテを買い、人々が歩きながらそれを飲むのが日常の風景。「この新しいコーヒー文化をぜひ日本に持ち込みたい!」、その想いから出発した商品です。
エスプレッソとミルクを掛け合わせた「カフェラテ」は今でこそ日本でも当たり前のように飲まれていますが、90年初頭には新しい存在でした。持ち歩きながら飲むというスタイルも当時の日本にはなく、コーヒーといえば喫茶店で腰をおろしてブラックで飲むか、ミルクを入れてカフェオレにするかが主流。屋外で飲むコーヒーについても「中年男性と缶コーヒー」のイメージで、ユーザーは限定的だったのです。
『マウントレーニア』は「カフェラテ」という新しいコーヒーと、それを持ち歩きながら飲むスタイルにいち早く着目。商品を通じ、文化そのものを伝えようとしたパイオニア的な商品だと自負しています。
日本にない文化をつくっていくわけですから、開発にあたっては社内に驚きの声も上がったと聞いています。ですが、それ以上に使命感も大きかったのではないでしょうか。
なお、商品名の『マウントレーニア』とはシアトルにあるレーニア山のことで、都会の中に顔をのぞかせる山がそこに住む人々の安らぎのシンボルであったことに由来しています。
こだわりの強さは、後継した担当者としても感じるところです(笑)。『カフェラッテ」を商標登録するなど、腰を据えて取り組みました。
乳業メーカーですから「カフェラテ」に使われるミルクの知見はあったものの、本格的なコーヒー市場への進出は初めてだったんですね。「カフェラテ」自体も日本になかったため、エスプレッソ抽出機は弊社のオリジナルです。通常のコーヒーをドリップして落とすのではなく、エスプレッソを圧縮する製法を取り入れ、コーヒーのうまみや濃厚なコク、ボディ感をより強く出せるように製法からこだわりました。
また、発売の数年後から現在に至るまで、研究員がブラジルに1ヵ月ほど研修に行き「コーヒー鑑定士」の資格を取得しています。コーヒーに関する高い専門性を持つ研究員が味作りの中心となり、原料についても高品質なアラビカ種のコーヒー豆だけを使用しています。
チルドカップコーヒー市場を開拓した『マウントレーニア』
『マウントレーニア』はエスプレッソ&ミルクの「できたてのおいしさ」を追求しています。
抽出やブレンド、殺菌方法へのこだわりはもちろん、外気に触れず、酸化を防ぐための工夫を施した「バリアカップ」という多層のオリジナル容器を採用しています。無菌状態で充填した後、チルド(低温)流通によって「できたてのおいしさ」をお客様にお届けできるのが特色です。
今でも覚えてくださっている方が時々いらっしゃいます。
90年代初頭といえば外国やハリウッドへの憧れも強い時代。アメリカの女優、ジョディ・フォスターさんを起用することで、都会的で洗練されたイメージを訴求する狙いがありました。
とはいえ、数字的にはいきなりヒットというわけにはいきませんでした。持ち歩きながら飲むRTD(レディー・トゥ・ドリンク)のスタイルを浸透させる必要がありましたし、コンビニにも現在のようなチルドカップ売り場のコーナーはありません。軌道に乗せるまでに3年ほどかかったと聞いています。
発売した13年後に初年度対比9倍の売上に!
社会背景的には、2000年前後に到来した日本のカフェブームが挙げられると思います。海外のカフェチェーンをはじめ多くのカフェが生まれたことで、その頃までにはスタイリッシュにコーヒーを飲む文化が日常に溶け込んでいました。
商品としては、06年に発売した『マウントレーニア カフェラッテ プレミア』(※現在は販売終了)が起爆剤となりました。通常商品より40円ほど価格帯が高いラインで原料や製法にもこだわったものですが、カフェブームと相まって芳醇な風味が多くの方に受け入れられたようです。ブランド全体の売上も毎年徐々に伸びていたことから、同年に稼働した神戸工場にも製造ラインを新設しました。ブームに際し、生産体制が整っていたのも幸いでしたね。
同時にこの頃からチルドカップコーヒーを扱う他社メーカーが増え始めました。種類が増えたことで売り場が充実し、これまで手に取ることのなかったお客様にも興味を持って頂けるようになりました。その背景も見逃せないと感じています。