第5回 ストーリーで共感、感情移入、没入が起こるとき

3分でわかる・ 人の心を動かすストーリー入門/ たちばな やすひとウィスット ポンニミット

第4回「人をストーリーに惹きつけるキャラクターが持っているもの」を読む
人の心を動かすストーリーを作ろうと思う時、キャラクターへの共感や感情移入、ストーリーへの没入は必要不可欠なものと言えるでしょう。

しかしながら、多くの作り手がストーリーで「共感、感情移入、没入」をさせたいと思ってはいるものの、それが何なのか? を考えたことがある人は少ない気がします。

どうやったら共感や感情移入を起こせるのか? そのためには構成やキャラクターの作り方を学ぶことはもちろん、根本的な意味で人の心の動きまで知る必要があると私は考えています。

今回と次回で、そういった心の動きに関して考察していきますが、そもそもが検証の難しい領域ではあるので、厳密な定義にこだわり過ぎず、自分の体験と照らし合わせながらイメージしていきましょう。

まずキャラクターに対する「共感」「感情移入」を考えていきますが、これらの違いはなんでしょうか?

「共感」と「感情移入」は、辞書によっては同義と捉えられることもありますが、私は少し区別して使っています。「共感」は簡単に言えば「そのキャラクターの感情を理解できるかどうか」です。つまりキャラクターが感じる喜怒哀楽といった感情を、情報としてではなく、自分が過去に体験した感情と照らし合わせて理解できるかどうか。

一方で「感情移入」はもう一歩踏み込んだ状態です。敵対者などの悪役に対して「共感」はできるけど「感情移入」まではできないことってありますよね? 共感した上で、肯定的な心情が入るのが「感情移入」です。

この「感情移入」は、ストーリーが進む中でキャラクターが抱く感情が、見る人にとっての切実な問題ともリンクしている時にたどり着く状態と考えています。自分が抱えている何か切実な問題があって、自分をそのキャラクターに投影してしまう状態です。それゆえ「感情移入」は楽しいことばかりではなく、時には辛い感情を共有することもあります。

またここで重要なのは、切実な問題というのが、お金がないとか迫り来る障害を乗り越えられないといった外的な問題ではなく、精神的な問題であることです。さらに言えば、頭(意識)で把握できているような問題ではなく、まだ自分の中では言語化したり整理できていない心(無意識)の課題との結びつきが重要だと私は考えています。この「精神的に切実な課題」を、私は「内的CQ(セントラルクエスチョン)」と呼んでいます。

内的CQと向き合う事で主人公は再起する

「果たして主体は目的を達成できるだろうか?」という言い方で第1回から繰り返し説明してきたCQは、基本的には「目に見える外的な目的」を指しています。たとえば「全国大会で優勝できるだろうか」とか「敵を倒すことができるだろうか」といった具体的な目標です。

一方で内的CQというのは目に見えない精神的なものになります。例えば「仲間から認められたい」とか「金銭的な価値観から脱却したい」といったものです。以下、内的CQと区別するために、もともとCQと言っていたものを外的CQと表わしますが、この外的CQと内的CQは繋がっています。

例えば、以下のようなストーリーを考えてみましょう。

外的CQ:果たして主人公はサッカーの大会で優勝できるだろうか
障害:優勝するためには、主人公とチームメイトの結束が必要
内的CQ:プライドを捨ててチームメイトに弱みをさらけ出せるか

このような形で、外的CQを達成するために主人公が克服しなければならない精神的な課題が、内的CQとして提示されていることが多いのです。

ちなみに、この内的CQはストーリーの序盤には主人公本人が自覚してないことが多いものです。大抵の場合、ストーリーのボトムに来た時に、主人公は自らの内的CQに向き合うことになります。そして、外的CQが果たせそうにないどん底になって初めて何かしらの気づきを経て、内的CQを克服する、あるいはそのきっかけを掴み再起するのです。

感情移入とは内的CQと作品を見る人の接点のこと

内的CQは多くの場合、「自分と社会の価値観のズレ」に対する葛藤から来るものです。「本当の私はこうしたいのにそれができていない」「家族を犠牲にしてまで自分の夢を叶えるべきか」などのようなものが挙げられます。内的CQは、何かキャラクターが解決できていない、乗り越えるべき精神的課題とも言えます。

その内面の課題に向き合う中で「本当に求めていることに気づく」あるいは「何かしら覚悟を決めて選択する」という形で内的CQを達成(あるいは克服)するわけです。

映画『タイタニック』で言えば、ヒロインのローズが例としてわかりやすいかもしれません。ローズは、親に決められた人生に絶望して自殺しようとしたところを、三等船客としてタイタニックに潜り込んだジャックに救われます。そして、ジャックの自由気ままな生き方に惹かれ、自分が属する貴族社会の価値観を揺さぶられていくのです。

最終的に彼女は社会的な価値観には従わず、親や周囲の反対を押し切ってジャックと一緒になる選択をするわけですが、ローズの持つ「自分が望む自由な生き方をしたい」という内的CQに共感、感情移入した人は多いのではないでしょうか?

このように「感情移入」とは、作品を見る人が、主人公が抱える内的CQと自らが抱える心の葛藤との間に何らかの接点を見つけた時に生まれるものではないか、というのが私の考えです

ボトムや再起のシーンで主人公が内的CQに向き合ったり、それを克服しようとする姿に感情移入できると、そのあとのストーリーにグッと入り込んで見ることができます。

下記のドラマカーブでいうところの④のポイントですね。

第3回でドラマカーブの話をした時に、④の再起が作り手にとって一番大事なポイントであることが多いと書きました。それはここで主体へ「感情移入」してもらえるかどうかがとても重要だからです。

そして「感情移入」したままクライマックスまで入り込んで見ている状態こそが「没入」と呼ばれるものになります。

「没入」とはなにか?

「共感」「感情移入」まで説明してきましたが、最後は「没入」についてです。

「没入」という現象を言葉で説明するのは難しいですが、「我を忘れて入り込んでいる」状態というのは、皆さんも経験があると思います。我を忘れてストーリーの世界に没入することは、感動の前提条件とも呼べるものです。

ちなみに頭をフル回転させて何かに没頭している時も我を忘れている状態ではあるのですが、これは「没入」とは区別して「集中」や「興奮」と私は呼んでいます。例えば、ミステリードラマを見て、犯人は誰だろう? この後どんな展開になるんだろう? と必死に考えながら見ている状態は「没入」ではなく「集中」です。私の思う「没入」は意識的な思考が完全にストップしている状態のことなのです。

では、どうやったら「没入」状態になるのでしょうか? 私は、没入に必要な条件は「予測と実測の差がない」ことだと考えています。予測と実測の差がないというのは、予測通りにストーリーが進むということです。思ったことが現実になっているという状態ですね。

第1回で「予測と実測の差から感情や意識は生まれる」という話を書きましたが、予測と実測に差がある時には、それに対応するために意識が働かなければならないので、没入できないのだろうというのが私の考えです。

ちなみに先日、私が主宰している講座でこの話をしたら、「好きな漫画を読んでいる時に毎回夢中になっているが、同時にハラハラしたり感情が高まっているのは実感していて、それは”没入”ではないのか」という質問を受けました。

私自身はこの「ハラハラ」は、期待→緊張→解決というエンタメ的なサイクルの中で「集中」あるいは「興奮」している状態と考えています。高い「集中」状態ではあるけれども、予測と実測の差がない「没入」状態ではないということです。

「集中」と「没入」は、どちらが上というものではないと思います。意識的な「集中」や「興奮」の場合に比べて、「没入」の方が無意識に届きやすく、だからこその「感動」もあるというのが私の考えで、ここについては次回詳しく説明します。

ストーリーで没入が生まれるとき

スポーツや競技などで、「ゾーン」と呼ばれる表現があります。高い集中状態のことを言ったり、あるいは野球やテニスでボールが止まって見えるなどの状態がそのように表現されたりします。

それも、ここでいう「没入」と同じ状態なのだろうと思います。予測と実測の差がない、全てがコントロールできている状態。そして、それはトッププロ同士のハイレベルなやりとりの中だけに生まれるものなのでしょう。

なぜならば、アマチュアでは不確定要素が多すぎるため、予測と実測の差が大きくなり、その状態ではゾーンに入れないからです。つまりプロ同士だからこそ、どこにボールが来るのかが予測できるとも言えるのです。

ストーリーに関して言えば、予測と実測の差というのは、後半に行くほど小さくなるのが基本です。つまり、ストーリーの序盤は色々な可能性が示唆されますが、後半は展開としては収束していきます。

これは殺人事件の犯人を見つけるようなミステリードラマで考えるとわかりやすいです。犯人が誰か? どんな風に殺害したのか? その理由は何か? などのその先の展開の可能性は、序盤から色々な情報や証拠が出てくるたびに広がっていきます。広がったままでは真相にたどり着けなくなりますが、それが決定的な証拠や、主人公のひらめきで反転し、絞られていくわけです。

つまり「序盤に広げた風呂敷を、後半に畳んでいく」のが情報量でストーリーをつくる構造となります。予測と実測の差で言っても、序盤は広がっていき、後半は縮まっていきます。それをグラフにすると下記のように表現できます。

予測と実測の差が反転するのは、多くの場合、ボトムから再起する瞬間です。

そして「お約束」とも言えるクライマックスに向かいながら、予測と実測の差が小さくなっていくに従って、どんどん没入状態になり、その絶頂をクライマックスで迎えるわけです

ちなみにこの時、予測と実測の差がない=展開が読めているのに興醒めしないのはなぜかというと、予測が自分が期待しているものだからです。逆に映画など見ていて、先の展開が読めてしまってシラける時は、自分が期待している展開ではないはずです。展開が読めても、それが強烈に自分が期待する方向の場合は「没入」が起こるということです。

いずれにせよ人は「期待」しなければ「満足」も「没入」もしません。だからこそ繰り返し述べているCQで「期待」をつくることが必要なのです。

そして、共感や感情移入を経て、没入からのカタルシスに至るわけですが、次回はさらに深掘りして「人が感動するとはどういうことか?」に迫っていきます。

<まとめ>
・キャラクターのもつ「精神的に切実な問題」を内的CQと呼び、それは見る人が感情移入するポイントである
・主人公が内的CQと向き合い、克服しようとする姿に感情移入できると、その後のストーリーに没入できる
・「没入」は意識的な思考が完全にストップしている状態で、期待する方向で予測の実測の差がなくなることで生じる