【第4回】日本の外貨獲得の要は「足尾の銅」だった【栃木県編】

思わずドヤりたくなる! 歴史の小噺/ 板谷 敏彦

47都道府県、「この県といえばこれ!」というとっておきの歴史の小噺をご紹介する連載です。作者は、証券会社出身の作家・板谷敏彦さん。大の旅行好きで、世界中の主な証券取引所、また日本のほとんどすべての地銀を訪問したこともあるそうです! 緊急事態宣言が全面解除になったとはいえ、新型コロナウイルスで自粛モードの日本ですが、板谷さんの語りで、一緒に全国を旅しているようなひと時を味わってみませんか? 第4回は栃木県。
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当時シェア40%! 足尾産の銅

浅草から早朝の日光行き東武特急に乗ると、日光の駅前から足尾町へと向かう市営バスに乗ることができる。足尾銅山で有名な足尾は、栃木県日光市の一部なのだ。

小さな路線バスは観光地として本命の東照宮や華厳ノ滝、中禅寺湖へと向かういろは坂を横目にどんどん山奥へと進み、やがて長い日足(にっそく)トンネルを通って細尾峠の下をくぐる。

トンネルが開通する以前の細尾峠は難所だった。1912年に群馬県桐生市側から足尾にアクセスする鉄道(現わたらせ渓谷鐵道)ができる前は、ここに日本初となる荷物運搬用のケーブルが設置され、足尾銅山の製品は山を越えて日光側に出荷された。

1908年に書かれた夏目漱石2作目の小説『坑夫』は、この頃の足尾銅山をモデルに書かれた。

女性関係に悩む主人公のお坊ちゃんが、ヤケで身を任せたポン引き(人足手配師:スカウト)と共に、日光から這いつくばうように山々を越えて行く。そうしてようやくたどり着いた山の中にある足尾は、真新しい銀行や郵便局、料理屋に白粉(おしろい)を付けた女までがいる大きな街だった。山奥の秘境に忽然と都会が現れたのである。当時の足尾は人口3万8千人を擁し、宇都宮に次ぐ栃木県第2位の都市だった。

山奥で都会を見つけたときの主人公の驚きは、以下のように描かれている。

山の中の山を越えて、雲の中の雲を通り抜けて、突然新しい町へ出たんだから、眼を擦って視覚をたしかめたいくらい驚いた。それも昔の宿とか里とか云う旧幕時代に縁のあるような町なら、まだしもだが、新しい銀行があったり、新しい郵便局があったり、新しい料理屋があったり、すべてが苔の生えない、新しずくめの上に、白粉をつけた新しい女までいるんだから、全く夢のような気持で、不審が顔に出る暇もないうちに通り越しちまった。――夏目漱石『坑夫』

20世紀初頭の日本の主な輸出品目は絹に銅、その銅の約40%が足尾で採掘されていた。足尾銅山は古河鉱業(現:古河機械金属株式会社)のものだが、国家にとっても外貨獲得のための重要な産業だった。そして足尾に行けば仕事があった。

その足尾銅山も1973年に採鉱を止めた。その時の坑道の総延長は1234キロにも達したという。現在の山道を走る小さな路線バスの車窓から見える風景は、それらの遺構であり、夢の跡である。製錬所跡に住宅跡、高校跡、森に呑み込まれた線路、そしてバスの乗客のほとんどは終着地にある病院へと向かう高齢者達ばかりである。

栃木第2位の都市は山奥の秘境にあった

※この地図はスーパー地形アプリを使用して作成しています。

100年の時を要した「足尾銅山鉱毒事件」

日光から入って、足尾から桐生へと下る、わたらせ渓谷鐵道の旅のお奨めは、①季節を問わない渡良瀬の渓谷の美しさ、②足尾の産業遺構の2つである。

鉄道開通前は日本で初となる貨物運搬用ケーブルで荷物を運んでいた

しかしながら産業遺構には「公害」がつきものである。教科書で習った記憶がある方も多いと思うが、足尾はその美しさとはうらはらに足尾銅山鉱毒事件であまりにも有名である。

足尾銅山は製錬時に二酸化硫黄を主成分とする鉱毒ガスを発生させ、金属イオンを含む鉱毒が排水として渡良瀬川に流された。銅山が大型化するに従って銅山近くの木立は枯れはじめ、川魚は死に、利根川に合流するまでの広範な下流域では稲作が被害を受けるようになった。当時この公害が次第に顕著となって、1885年頃にはメディアが報道しはじめるようになる。

これに立ち向かったのが、衆議院議員だった田中正造である。自由民権運動出身の田中は農民達の苦悩を共有できた。帝国議会に対して繰り返し渡良瀬川流域農民の苦難を訴えるも、富国強兵にいそしむ国は外貨を稼げる産業振興を優先し抜本的な対策を講じなかった。

そして日露戦争の少し前、1901年の12月、国会が何もしないならば、他に方法無しと、田中は死を賭(と)して天皇陛下に直訴するのだった。

「お願いでございます。お願いでございます」

訴状を高く掲げた田中は帝国議会帰りの明治帝の馬車へ一目散、護衛の騎兵が槍を突き出すも、田中がよろけたせいで、騎兵も落馬。田中は一命をとりとめたが明治帝の馬車は通り過ぎてしまった。

この話に少しでも救いがあるとすれば、田中を捕らえた麹町署の署員も取り調べた検事も、この無私の政治家田中に優しかったことだ。田中は即日釈放された。もっとも違う言い方をするならば相手にされなかったとも言えるだろう。

この公害事件、加害者が古河鉱業と認定されたのは、なんと1972年のこと。最初の被害が出てから約100年も経っていたのである。

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栃木県のおすすめ観光スポット&グルメ

冒頭にあるように、1日に数本しかない足尾行き日光市営バスの時刻表をよく調べて、東武特急日光経由で旅を始めたい。これだと帰路の、ディーゼル車のわたらせ渓谷鐵道がゆるやかな下りとなって快適だからだ。

通年で開いている観光施設は足尾銅山の坑内観光(編集部註:5/31まで臨時休園)。これは本物の鉱山跡を利用した博物館で、本物の鉱山用のトロッコで坑内700メートル奥まで入ると、坑山の現役時代を再現したリアル過ぎる坑夫の人形達が迎えてくれる。坑内の夏は涼しく冬は暖かい。一人だと怖い。

本物の足尾銅山の坑内なのでよりリアル

他の施設は冬季閉鎖があるので要注意だが、逆に閑散期が好きな人には、冬期はおすすめである。

またこれを機に足尾の環境問題に興味を持った人には、バスではなく日光辺りでレンタカーを借りて、鉱山の歴史と公害が環境に与えた影響などを展示した足尾環境学習センターなどもじっくりと見学してほしい。

閑散期に訪問したので、めぼしいグルメは無かった。せめて東武特急で駅弁は確保しておきたい。浅草、北千住駅で販売しているし車内販売(編集部註:現在一時休止中)もある。

足尾銅山観光の施設の中に、昭和レトロな喫茶店がある。売りはオムライスにナポリタン。昭和すぎてグルメうんぬんのレベルは超えてしまっている。ここも博物館の一部だといっても差し支えないだろう。

昔ながらのオムライス