赤ちゃんは身体を動かすことを通して、自分の身体や周囲にある物の特性を理解していきます。また、泣くことや笑うことを通して、周囲の人の気持ちに働きかけます。そして、見ることや真似ることを通して、ものごとの意味を学んでいきます。このように世界を知ろうと自ら働きかけたり観察したりすることを「探索」と呼びたいと思います。そしてこれからする話は、「探索」のためには「愛」がいる、ということです。
第5回「赤ちゃんが大人に共感するとき」を読む
「愛着」という心理学の概念があります。人間の赤ちゃんは抱っこされ、ケアされ、1年ぐらいかけて自分で動くことができるようになっていきます。赤ちゃんが「自分をケアしてくれる人」に対して抱く情緒的な結びつきのことを「愛着」と言います(愛着の対象の多くはママなので、ここではママとします)。
赤ちゃんはママに触れたりくっついたり(接近)、ママがそばにいることで安心したり(定位)、ものを指差してパパと眼差しを共有しようとしたり(発信)します。これらは「愛着行動」と呼べます。
人の気持ちを察しながら探索する
「愛着」というと、「接近」のような「くっつく」印象がありますが、「愛着」をうまく築くことができると、「はなれる」行動がうまくなっていきます。ママの存在が心の拠り所(安全基地)になり、周囲に積極的に働きかける「探索」をすることができるようになります。
どういうことか詳しく説明しましょう。「ビジュアル・クリフ(視覚的断崖)」という実験があります。この実験は、もともと赤ちゃんがどんなふうに「奥行き」を感じているかということを明らかにしようとするものでしたが、成果はそれだけではありませんでした。お母さんが笑顔で呼びかけをすることで、赤ちゃんがその表情を手掛かりに恐れや葛藤を克服するということがわかったのです。
また、「スティル・フェイス」という実験もあります。赤ちゃんが微笑みかけた時、ママが微笑むとさらに喜びの表情をママに向けます。しかしママが無表情のままだと赤ちゃんは困惑するというものです。「私が微笑みかけているのに、無表情なの!?」というものです(大人でも困惑しますよね)。
このように、ママやパパのような「愛着の対象となる人」の感情を参照しながら、赤ちゃんは探索していきます。
ママだったら何て言うかな
ここまでは物理的にママの顔が見える場合の話でしたが、最終的には、顔が見えなくても子どもの心のなかで「ママだったら何て言うかな」「きっとこう言ってくれるだろう」というようなことを参照するようになります。
赤ちゃんは最初、感覚を通してママの存在を認知して気持ちが働きます。ママの顔を目で見て、抱っこされる安心感を皮膚や固有受容覚(関節などについている感覚)で感じて、ママの声を耳で聞いて、「気持ちいいな」「嬉しいな」「ほっとするわ~」というようなことを感じ取ります。
だんだん記憶力がついてくると、心のなかでママのことを思い浮かべることができるようになります。ママの表情だけでなく、声・感触・一緒にいるときの安心した心持ちなどがひとまとまりとなって「ママ」を思い浮かべるのでしょう。おそらくママの行動パターンも記憶していて、そのパターンの予測によって情緒が安定したり不安定になったりします。
以前、1歳6ヵ月の子が託児サービスに預けられたとき、お母さんと離れてしばらくしてから泣き出したことがありました。でも、保育士が「ママはここで待ってたら迎えにきてくれるから大丈夫だよ。遊んで待ってよう!」と言って伝えると、その子はじーっと話を聞き、「そっか、じゃあママが戻ってくるまで遊んで待ってよーっと」という感じでケロっとして遊びはじめました。
日頃の「愛着行動」を通してママと一緒にいる自分の感覚を記憶し、心のなかにママがいきいきと描かれ、それゆえに「ママが戻ってくる」という未来を信頼できるのだと思います。
見知らぬ他者と出会ったときに
「愛着」には、さまざまなスタイルがあります。その子がどんな愛着スタイルなのかを見定める方法として「ストレンジ・シチュエーション法」という実験方法があります。
これは、以下のようなプロセスで行われます。
2.知らない人が入ってくる
3.ママがいなくなる
4.知らない人が関わってくる
5.ママが戻ってくる
このプロセスのなかで「3.ママがいなくなったとき」と「5.ママが戻ってきたとき」の子どもの反応によって愛着のスタイルを評価する、という実験方法です。スタイルには以下のようなものがあるそうです。
ただし、この分類だと「安定型は良くてそれ以外は良くない」という感じに見えますし、この3つの型だけがすべてではありません。いずれにせよ重要なのは、「母子関係がすべてではない」ということです。
実はこの「ストレンジ・シチュエーション」の研究には続きがあり、成人への愛着スタイルに関する調査を実施したところ、赤ちゃんの頃の愛着のスタイルと一致していたという報告があります。
「安定型」はそのまま安定した愛着のスタイルを持ちますが、「葛藤型」や「回避型」は「不安が大きく、他者にしがみついてしまう」とか「不安は少ないが、他者と距離をおいてすごしがち」とか「不安が大きく、他者と距離をおきがち」というように、他者との関係をつくりにくくなるという話です。
ただし「この愛着のスタイルをもう変えることはできない!」というわけではないと思います。ぼくも20歳ぐらいの頃は「拒絶・回避型(他者を信頼しない)」だったと思います。しかし、その後いろんな人に助けてもらったり、逆に図らずして人の役に立っていたりして、人を信頼できるようになってきていると思っています。
自分にとって重要な他者との関係がどう形成されるかで、その人の人格が変わっていくものです。親以外の親密な他者という意味では、親子関係のやりなおしは恋人によって可能とする説もあります。親の育て方によって人生が決まってしまう……ということではなく、他者との出会いが人生を変えていくということです。
さまざまな愛の形
惜しみなく与えることだけが愛なのではなく、一歩引いてよく見るということも、後押ししてあげることも愛の形だと思います。「かわいい子には旅をさせよ」などと言いますが、大人が子どもの自立を促すには、未知の未来に向かって生きて行く子どもを「大丈夫! 怖がらずにやってごらん!」と言って送り出せるように、いろんな愛の形をつくれるようにしたいものです。
また、赤ちゃんと他者の愛着の話は、大人にとっても縁のある話です。顔の見える関係性のなかでお互いの「配慮」や「関心」によってつくられる人の集まりのことを「親密圏」と呼びますが、この配慮や関心のあり方もまたある種の愛着であり、探索のためのエネルギーになると思います。
・特定の他者との情緒的な結びつきを「愛着」という
・愛着がうまくいくほど、世界への好奇心はひろがっていく
・親の育て方がすべてではなく、他者との出会いが人生を変えていく