第5回 赤ちゃんが大人に共感するとき

赤ちゃんのきもち/ 臼井 隆志ながしま ひろみ

これまでは赤ちゃんの認知・思考や、全身運動の発達過程についてひもといてきました。しかし、赤ちゃんは自分ひとりで考えたり運動したりできるようになるわけではありません。赤ちゃんが何かを学んでいくうえで周囲の人たちの関わり方を考えることが重要です。
この回では、赤ちゃんと物の関係ではなく、赤ちゃんと大人の関係を考えてみたいと思います。
第4回「赤ちゃんが初めて歩くまで」を読む

なお今回参照したのは『意味から言葉へ 物語の生まれるまえに』(浜田寿美男著,ミネルヴァ書房)です。この本は、赤ちゃんが生まれ落ちてから言葉を獲得するまでの過程を、身体や周囲の大人との対話を通して解き明かしていきます。
たとえば、赤ちゃんの「泣く」という気持ちの表現は、「誰かが気づいてなだめてくれる」ことで成り立ちます。「泣く」ことそれ自体で生理的な欲求を満たせるわけではなく、誰かが欲求を満たしてくれることを伝えるための手段です。こうした赤ちゃんの気持ちの表現がどのように他者との関わりのなかで変化していくのかを学ぶことができる良書です。

「人見知り」をする赤ちゃん

では、赤ちゃんと大人の関係をひもといていきます。赤ちゃんと大人の関係を「目が合う」という状態から考えてみましょう。

当たり前ですが、目が合うというのは「眼球を見る」ということではなく、目と目が合い、お互いを一人の人/主体として認識し合うことをいいます。
ぼくたち人間は生まれてすぐから、親にミルクを与えられたり、オムツを替えてもらったり、一緒に遊んでもらったりして成長していきます。赤ちゃんはそうして慣れ親しんだ他者に対して、目を見て微笑んだり、嬉しそうな声をかけたりします。

一方、生後半年過ぎころから表れる「人見知り」は、見ず知らずの他者に対して身構え、ときに身体を「こわばらせる」ことを言います。これは「目を合わせること」によって、相手を一人の人であることを認識していることの表れです。赤ちゃんは家族や親しい人の顔と関わり方のパターンを記憶しています。新しいパターンの顔(=見ず知らずの他者)が現れると、どんな関わり方をしてくるのか予測がつかず、不安と緊張に全身が支配されてしまうのでしょう。

では、どうすればこの「こわばり」がとれていくのでしょうか。以下に書くような「同じ物を見る」「眼差しと思いを重ねる」というプロセスを積み重ねていくことで、次第にこわばりがとれ、相手がどんな人かが見えてくるようです。

同じ物を一緒に見る

「目を合わせる」ということができると、次に、他人の目線を追うということができるようになります。これができるようになると、「同じ物を一緒に見る」ということが可能になります。
これはたとえば、大人と赤ちゃんの間に壁があったとしても成立する状態でもあります。

でもそれは「同時に見ている」に過ぎず、お互いに相手がそれを見てどう感じたかがわかっていない状態です。

では「同じ物を一緒に見る」が成立するためには何が必要なのでしょうか。

眼差しを重ねる(大人→子ども)

それは「眼差しと思いを重ねる」ということです。たとえば、大人と赤ちゃんが同じクマのぬいぐるみを見ていたとします。
その時に、大人はクマのぬいぐるみだけを見るのではなく、「子どもの眼差し」に視線と思いを重ねてそのぬいぐるみを見るようにするということです(このように赤ちゃんの気持ちに思いを重ねることをぼくは「Baby View」と呼んでいます)。

赤ちゃんにとってこうした大人の共感的な関わりは、赤ちゃんが他者に対して抱く「こわばり」をなくすうえで重要であると考えます。

ここで注意しておきたいことがあります。もし、赤ちゃんがクマのぬいぐるみを生き物らしく扱わず、耳をかじったり振り回したりしていたとします。しかし赤ちゃんが物に対してその様な反応をするのはごく普通のことです。ピアジェの発達段階説でいう「第二次循環反応」です(第3回参照)。

こうした行為に対して大人が「こらやめなさい」「クマをそんな風に扱わないでよ」というような態度を示すのではなく、「面白そうだね」「耳の感触が気に入ったのかな?」などと共感的な態度を示すことが重要です。赤ちゃんが「この人はわたしの感覚をわかってくれるタイプの人なのか」というような気持ちを抱くことで、その大人が「理解不能な人」ではなく「共感可能な人」に変わるのだと思います。

眼差しを重ねる(大人←子ども)

こうして「共感可能な人」として現れた大人に対して、子どもは次第に興味を持ち始めます。ぼくもワークショップをしていて、初めは人見知りをされたけど、その子の興味に共感的に関わり続けることで「ん!」と言って物を渡してくれたり、「へへ~!」と微笑みかけてくれる様になったりした経験があります。

そうしていくうちに「この人、なんか面白いな」と思ってくれるのか、大人がやっている行為を真似しようと思い始めるようです。子どもが大人の視線を追い、眼差しと思いを重ねるということがおこります。Baby Viewの逆の立場ですね。

はじめは関わる大人の行為を表面的になぞることから始まりますが、少しずつ、その「その人の世界の見方」を自分の中に組み込んでいきます。

人から人へ、意味が伝わるということ

これは大人でもよくあることです。誰かのものごとのやり方を見て、その誰かに自分を重ね合わせ、その人のものごとのやり方を取り入れてみようと思うことってありますよね。それは他の誰かの意味世界を、自分のなかに編み込んでいく過程です。

たとえば、「猫」を可愛がるAさんがいたとして、Aさんの猫に向けたふるまいや表現、あるいは思想に対して、Bさんが猫を飼い始め、Aさんのことを頭の片隅におきながら猫との生活を始める。こうしてAさんの猫への愛は、Bさんのそれへとうつっていきます。

これは単に行為の模倣・理解の話だけではなく、言葉を学ぶことや文化を受け継ぐことにも通ずる、普遍的な人と人との関係性だと思います。よく「背中を見て育つ」と言いますが、正確には背中ではなく、その人がものごとに向かうふるまい・姿勢・眼差しを見て、自分にうつしながら育っていくということなのでしょう。

ぼくたちは広い世界を探索して様々な人やものに出会い、他者との関係のなかでものごとの意味を学んでいきます。そのとき、憧れ、興味、信頼といった気持ちが探索の原動力になりますが、もっとも強く確かなものがあります。それは「愛着」です。愛着については次回で詳しく見ていきましょう。

<今回のまとめ>
・赤ちゃんのきもちを、赤ちゃん、大人、物の3つの関係で考える
・「目が合う」ということは相手を主体として認識し合うこと
・お互いの物へのまなざしに思いを重ね、共感し合うことで、意味世界が伝わる